前のブログからかなり経ったのだが、実は双極性感情障害が悪化して仕事を辞めざるを得なくなっていた。その経過を少し書いてみようと思う。
定時制高校で適応障害を起こした
定時制の学校は(僕と同じような)発達障害を抱えている生徒が多く、教科指導が非常に困難である。学習障害(LD)を持っていそうな生徒もいて、英語を教える以前に日本語の読み書きですら非常に危うい。他の教科担当に授業を見てもらったが、「先生の授業は進学校向けですね」と言われてしまった。
今までは高校で教えたことがなく、看護学校の非常勤と大学の研究補助員(RA)くらいしか職歴がない。教材開発会社で英語教育の教材を作る手伝いをしていたことがあるが、そういう経験を活かすことができなかった。
僕の授業のベースになっているのは、大学受験予備校で習った英語と学部時代に経験した進学塾の講師の研修、そして教職課程で勉強した英語科教育法である。大学院では理論言語学を専攻したので外国語教育のスペシャリストというわけではない。
定時制の学校で教えるのには、今にして思うと教科教育の専門性はほとんど使い物にならず、特別支援教育の知識なのだろう。そういうのは教職課程に含まれてはいるが、実際に現場に出てみると使い物にならなかった。
それで適応障害を起こして辞職することにしたのだった。
公立高校の病欠代替
仕事をやめてからは週1の看護学校だけで食べていくのが困難になったので就職活動をした。東京都教育委員会のサイトで時間講師の登録をしていたので、病欠代替を探しているとのことでお呼びがかかった。
私立は勤務コマ数×コマ給×4週の月額制のところが多いが、公立は行った日だけコマ給が発生する。しかも長期休暇は給料が一切出ない。その点でお察しだと思うのだが、勤務初日に頼まれたのは定期試験の採点。試験後最初の授業で返却しなければならないということで採点日に2日間一生懸命働いた。答案の持ち帰りはできないということで勤務校に片道1時間半かけて通ってのことだ。作文なども細かく見たのだが、生徒からは不満が続発。他の先生はこれで丸にしてくれたとかなんとか。採点基準をきちんと合わせなかったのが問題だから仕方ない。ただ勤務して1週間後に言われた衝撃の事実。採点日は授業日ではないからコマ給が発生しない。交通費は出るとのことでタダ働きをさせられたのだ。そういうことは先に言え!
元々専任が持っていたコマを受け継ぐ形になったので授業の種類が多い。コミュニケーション英語に英語表現に英会話。それはそれは重労働だった。一生懸命にやったのだが、専任が復帰可能になったということで契約が微妙に変わった。年度末まで勤務するつもりだったのだが次年度更新はなく、また探さなければいけない。そんな不安定な要素が祟ったのかまた体調が悪化して2月で退職することになった。
看護専門学校は任期満了?
メンタルが悪化する遠因ともなったのが年末に届いた一通の封筒である。看護学校は12月に後期の授業を終えていたのだが、封筒を開くと契約終了を知らせる一通の手紙が入っていた。
体調不良で1回休講にしたのが悪かったのだろうか。真偽のほどは定かではない。
そういうわけで完全に無職になった。大学院(博士課程)の学籍はあるのだけど。
もう英語を教えるのは嫌だ!
大学院での研究はうまくいかないし、研究補助員の仕事を切られて始めた高校はうまくいかなかった。もうちょっといい職場もあるのだろうが、語学講師としての自信を失ってしまった。
メンタルを完全にやられてしまい、一人暮らしを維持することが困難になった。大学院は授業が週に2回なので実家に戻って静養することになった。
障害年金の申請に失敗したので(高校で働いているのが悪かったのだろうか)、実家に帰るまでの間、日雇いやウーバーイーツの配達員などの小銭稼ぎをした。
そうしたらウーバーの配達中にてんかんを発症。東京のど真ん中の交通量の多い道路を自転車で走っていたところまでは記憶にあるのだが、気がつけば路側帯で倒れていた。幸いにも大きな怪我などはなく、入院することなく経過観察となった。
今思えば前に働いていた教材制作会社でもう一度働けばよかったと思うのだが、メンタルを崩すとそういう気力も湧かなくなる。
そういうわけで、大学院を休学して実家に戻りつつこのブログを書いている。もう少ししたら再び障害基礎年金の申請をするが、しばらく語学講師に戻ることはないだろう。
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